グノーブル 卒業生インタビュー Part 4(続き)
自分の夢は何科の医師なら実現できるだろう。
そこまで絞り込んで考えることができました。
6か月間に及ぶマサチューセッツ工科大学(以下、MIT)への研究留学を終えて帰国した海老名洸太朗さん。出発前に『グノレット24号』のインタビューでお話しされていたとおり、MITでの体験を報告に来てくださいました。科学と医療が融合する最先端の現場で、海老名さんは何を見て、どのように感じ、どんな出会いがあったのか。そして、ご自身の夢である、日本における“新しい時代のチーム医療”の構築へのヒントは得ることができたのか。たいへん有意義なお話を伺うことができました。
(web版のみの掲載)
10期生
海老名 洸太朗さん
(学習院/東京医科歯科大学医学部4年)
医療者とデータ技術者の価値観の相違
東京に戻って、今日でちょうど2週間なんです。帰国直後はなんとなく冬眠から目覚めたような感じだったのですが、最近は自分が普通の大学生に戻っていく寂しさのようなものを感じています。
留学先のMITでは、医療工学科学研究所(Institute for Medical Engineering and Science)という機関の中のコンピュータ生理学の研究室にいました。そこでは多岐にわたる研究を行っていますが、一番の目玉はハーバードメディカルスクールの医療者とヘルスケアやバイオテックに興味があるMITの学生がチームを組んで行う「Collaborative Data Science in Medicine」という授業です。チームは、医療のバックグラウンドを持つ人が2人、データを扱う技術者が2人、メンターが1人の計5名で構成され、班ごとに決められた医療課題について考えます。ここで医療者とデータ技術者の考え方の違いを目の当たりにしました。
データの世界の人はアウトライヤーといって“外れ値”をあまり重要視しません。例えば、タンパクの数値の平均が10だとしましょう。低い人で5、高い人で15や20で病気だという場合に、突然100という異常値の人が出たとします。するとデータ技術者は一旦そのデータは横に置いておくわけです。何万人にひとりという異常値の人がいたとしても、それはあくまでもレアケースとして分析上は平均値のデータを出そうとする。ところが医療者はそこに説明を求めます。「もし異常値の人が運ばれてきたらどうするの? 平均値のデータしかなかったら対応できないじゃないか」と。こういうことは結構ありました。要するに医療者とデータ技術者の価値観の相違です。医療者は目の前に患者がいれば、なんとかしなくてはいけないので、あらゆるケースについて掘り下げたり、どういった理由でそれが起こっているのかを知ろうとします。これはひとつの例にすぎませんが、「Collaborative Data Science in Medicine」ではかなり問題意識の高い授業が行われました。
授業が始まるのは9月からだったので、それまでは準備期間でした。5月に渡米して6月はひとりでコツコツ勉強する時間が長かったですね。研究テーマをもらって、それを再現するアシスタントのようなことをしていたのが7月、8月です。ここまでは自分のやるべきことだけをやっておけばいいし、わからないことがあれば教えてくれるので、1か月がやたらと長く感じていました。9月に授業が始まってからは、途端にやることに追われ始め、気づいたら11月になっていて、いつの間にか帰国の飛行機に乗っていた感じです。
現地の言葉に慣れるまで
MITやハーバード大学はアジア系の人の占める割合が想像していたより多かったように感じました。もちろんイギリス人もいましたし、ブラジル人やアメリカ人の教授もいたので、特別に国籍を意識することはなかったです。国籍や人種はともあれ、良かったのは、向こうは僕に何も期待していないので、どんなことでも気軽に質問ができたことです。相手が日本人だと「そんなことも知らないの?」と思われてしまいそうで僕はイヤです(笑)。でもMITでは立場的に一番下っ端でしたし、言葉も英語ですので素直に「わからない」と伝えられました。
やっぱりいろんな意味で言葉の違いは大きいと思いました。日本語だと自分の意図を120%伝えられるからこそ、質問の内容が稚拙なのではないかと不安になることもありますが、英語の場合は、まずは正しく意思疎通ができているかが最優先になります。「僕の質問したいことに、あなたはちゃんとフォーカスできていますか?」と確認しながら進めることが大事だったので、内容が稚拙か否かは気にならなかったです。というより、それどころではありませんでした(笑)。
留学する前に受けたTOEFL iBT
®で99点だったんです。実際にアメリカに行ってみても言いたいことは頭の中に浮かびますし、整理もできます。ただ発音のクセは厄介です。日本の大学で教えるネイティブの先生は、日本人の英語に慣れているおかげでこちらの英語は問題なく通じます。でも、日本人に慣れていないアメリカの人たちには通用しません。文法やボキャブラリーはなんとかなっているはずなのに、最初のうちは同じことを何度言っても通じなくて、フォニックス(発音と文字の関係性を学ぶ音声学習法)を改めて学んだりしていました。
それでも10月の中旬くらいからは、一気に英語が通じるようになりました。現地での生活に慣れてきたことに加え、休暇を利用してニューヨークに行ったことも大きかったと思います。MITの研究室にいる時は、研究トピックに関する専門用語も限られていますし、毎日顔を合わせているのでお互いがそれぞれのクセを理解します。そういった環境でコミュニケーションが取れるようになるのは当たり前のことです。いわばそこは温室で、そこにいるだけでは会話力は伸びません。そんな中、顔見知りのいないニューヨークで多くの初対面の人と触れ合ったことで、明らかに英会話の「初対面スキル」が上がったように思います。
大学受験期の英語学習は財産になる
英語学習に関してちょっと触れておきたいのですが、「英語はずっと続けてゆく生涯学習」というのが僕の持論です。ただ、集中的に英語を勉強できるのは大学受験期が最後ではないでしょうか。だからこそグノで学んだことが一番記憶に残っていますし、グノで学んで本当に良かったと思っています。大学に入ってTOEFL®の対策を始めてから「あれ、この表現、前に見たことがあるぞ」「なんだか懐かしい」という感覚を何度も持ちました。グノで培ったことは長期記憶に染み込んでいて僕の英語力の土台になっているんです。とりわけ、言語として英語を使う力が上がったことは大きかったと思います。
僕にとっては、初めて人生の選択をしたのが大学受験でした。「合格しなきゃ!」というプレッシャーもありましたし、グノの授業では、誰もが「上のクラスに行きたい」という思いがあって、ひしひしと競争意識が伝わってきました。高校の同級生たちとはまた違って、あらゆる分野で頭角を現していた優秀な同年代に囲まれる中で、「理科や数学ではかなわないけど、なんとか英語では勝ちたい!」というプライドもありました。そういう気持ちでがっつり英語を勉強したのは大学受験期が最後です。その時期にグノで英語を勉強できたことはとても有意義だったし、卒業から4年がたっても僕の財産になっています。
ストロングポイントを築いた訓練
ニューヨークから戻って少し視座が上がったなと感じた時、「ああ、グノでも視座が上がった経験をしたことがあったな」と思い出しました。当たり前のことですが、コミュニケーションというのは種々のスキルの重ね合わせです。第二言語としての英語学習者である僕にとっては、たとえ英語を使っている時でもベースには国語力(母語力)が必要で、それ以外の様々な知識も動員しながら「ことば」を組み立てているイメージです。ところが僕は、もともと国語がすごく苦手だったんです。それが原因で中学受験もせず、内部進学という道を選びましたし、ちょうどグノに通い始めた頃も、英語や国語の成績に伸び悩みを感じていました。
でも今は、自分で言うのもなんですが文章を書くことはすごく得意だし、こうして人とお話をすることも大好きです。今ではそれがストロングポイントと言っても過言ではありません。ではなぜ、もともとは苦手で嫌いだったものに得意意識が持てたり、気持ちいい感覚を覚えられるようになったのかをさかのぼって考えると、高3になってからグノで取り組んだ英文要約がきっかけなんです。
毎週、読解の授業では最初に200語から長くても500語ぐらいの英文を読み、日本語で内容を要約して提出します。その場ですぐに先生が添削して点数もつけて返却してくださるのですが、最初はひどいものでしたね(笑)。筆者の主張とそれを補佐する具体例がどのように書かれているかも見抜けませんでした。それでも次第に、英語のパラグラフがどのように構成されているか、パラグラフとパラグラフがどのようにつながっているかを把握できるようになり、自分なりに優れた要約とは何かをつかめるようにもなりました。僕は、抽象論と具体論が綺麗に分かれているのが良い要約だと思っていて、書く時は“概念論ファースト”を基本とし、もし字数が余っていたら具体例も入れてまとめることを心掛けていました。
僕が文章を読んで、この部分は具体論でここが抽象論と分けて読めるようになったのも、文中の因果関係を理解して読めるようになったのも、すべてグノでやった要約演習のおかげです。また入試直前に、東京医科歯科大の記述問題を担当の先生に丁寧に添削していただいたことも大きな力になったと思っています。結果として国語力も上がり、センター試験では国語でも95%以上得点することができましたし、二次試験でも英語の得点で数学でのミスをカバーできたという手応えを感じ、試験終了と同時に合格を確信することができました。
あれから4年たっていますが、あの時の訓練は本当に大事だったと思います。人が話をする時、内容や構成がまとまっていないことはよくあります。でも、話を聞きながら主旨をつかもうとする姿勢、そして、実際にまとめられる能力を身につけることができたのはグノでの要約訓練があってのことです。この力はコミュニケーションの土台にもなっています。
留学して見えてきたもの
今回の留学の一番の目的は、最先端の医療現場でデータサイエンティストの働きを見て、それをもって日本の新しいチーム医療を確立する可能性を探ることでした。その目的は十分達成できたと思っています。結論から言えば、残念ながらまだまだその可能性はありません。医療現場では、いかに特別なスキルを持っていようが医師が優位になる印象を受けました。
『Nature』に論文を載せるくらいの力があるデータサイエンティストなら話は別ですが、基本的にはアメリカでも現場を動かすことができるのは医師だけです。もちろん医師のほうもデータサイエンティストを(日本とは比べものにならないほど!)リスペクトしていますが、両者の関係性はどうしても「発注者(医師)」と「受注者(データサイエンティスト)」の間柄になってしまいがちでした。
留学前に僕は、データサイエンティストとは医療現場において治療方針にも口を出せるくらいの優位性を持った力のある集団で、またそうした、医療に関わる人々のバックグラウンドの多様性みたいなものが“新しい時代のチーム医療のあり方”なのだという理想を持っていたんです。アメリカならばそれが実現できるのではないか、と。ところが最先端のアメリカですら、そこまでいっていないのが現実でした。むしろ、医師にお伺いをたてる構造さえ感じました。
もちろんデータのことが全くわからない医師とのマッチアップだったらデータサイエンティストの立場もまた違ったものだったと思います。しかし先述した「Collaborative Data Science in Medicine」という授業に参加している人たちは非常に優秀で、日々の診療データや臨床研究にもがっつり興味を持っています。職業的な優位性というよりも、データ方面にも精通している医師が多かったため、結果として自ずとデータサイエンティストに指示を出す形になってしまい、チーム力よりもヒエラルキーを感じることのほうが多かったです。
僕は日本から来た留学生ですので、何を指示されようが構いませんが、データ解析の専門家として、博士号をとった方たちがそうした関係性で仕事をしているのには少し違和感がありました。やはり、データサイエンティストの満足度を上げるのは現行の制度では難しいと思います。言われたことだけをやっていたい人ならいいかもしれませんが、「医療現場を動かす」ようなクリエイティブな仕事をしたい人にはすごく難しい。そうしたことが今回の留学で見えてきました。
ボストンで出会った日本のビジネスパーソン
MITがあるボストンは、優秀な日本のビジネスパーソンが集まっている街でもあります。そんな人たちに「あなたはどんな仕事をしているのですか?」と質問すると、いろいろと興味深い答えが返ってきました。そういった話を聞くと、これまで自分の視野に全くなかった職業や業界に対する誤解が解けました。例えば、ロシアのプラント建設に関わったゼネコンの方が、現地の職人相手にいかにリーダーシップを発揮したかという話はとても興味深かったです。何より話の面白さもさることながら、僕のような学生を相手に真剣に話してくれることがとてもうれしかったです。
加えて印象的だったのは、相手も僕のことを「日本の医大生がMITにいるのだから、きっとこの子も何かを持っている」という見方をしてくれることです。そして「当然キミもとっておきの面白い話をしてくれるよね」という振り方をしてくる。そういった「一流のコミュニティ」に所属する経験は、学生間の対話だけでは絶対に得られないことです。とても楽しかったですし、いろいろなことを考える良いきっかけになりました。
今、僕がいるのは100人いたら、そのうちの99%以上が医師の道を進むような世界です。考えようによっては極めて狭い、閉じた世界だとも言えます。ところが、今回の留学を通していろいろな職業の一流の人から話を聞けたことで、それぞれの仕事の面白みを知ることができましたし、改めて「医者ってすごい職業だ」と思うこともできました。出会う方々に、どんな職業で、どんなやりがいがあって、何が幸せでその仕事をやっているのかを聞くと、結局のところ皆さんお金じゃないところに幸せの基準を持っていて、その意思に突き動かされているようでした。そういう精神的に深いところに入っていくと、まさしく医師という仕事はいろいろな形の幸せを実現できる職業ではないかという考えに至りました。
もともと僕は外の世界と医療を結びつける仕事や、新しい医療のエコシステムをつくりたいと思っていて、今回の留学もその可能性を探るものでした。ボストンで出会った日本人の方々は、それぞれに身を置く業界で、そういうことに尽力されている方たちばかりでした。だからこそ話にリアリティがあったし、僕自身も「自分の夢は何科の医師なら実現できるだろう」というところまで、具体的に絞り込んで考えることができた、非常にエキサイティングな体験でした。
自分が選んだ選択肢を正解にする
大学受験は自分が選んでするもので、どんな道を選んでもしばらくすればそれぞれの場所に落ち着いていきます。そこで大事なことは、自分が選択したことが正解だったか不正解だったかを悩むことではなく、“自分が選んだ選択肢を正解にする努力”だと思います。
実は僕も、東京医科歯科大に入学した当初、「東大を受験しなくて本当に良かったのか?」と少しだけ考えたことがありました。でも改めて振り返ってみると、東大に入っていたらきっとこの時期に、これだけ有意義なアメリカ留学の経験はできなかったと思います。もちろん別の大学に入ったら入ったで、違った形で自分にとっての正解を見つけていたでしょうが、今と同じ経験は絶対にできませんでした。だから僕の選択はやっぱり正解だったと思うし、「4年前のおれ最高!」と思っています。
今グノで学ぶ皆さんには、「あなたにとって何が偏差値70ですか?」という質問をしたいと思います。つまり、あなたが人と比べてかなり得意なことは何ですか? ということです。それは、人当たりの良さかもしれませんし、喋りがうまいということかもしれません。勉強じゃなくてもいいんです。勉強をして大学に入って、また勉強をして社会に出て、その先で「こんなことをやってみたい」とピンポイントに決まっている人はなかなかいないと思うので、一度そういうものをすべて切り離して、自分の強みを振り返ってみてほしいと思います。
そしてもうひとつお伝えしたいのは、「自分は何をしている時が幸せなのか」を考えることです。僕自身の場合はこうした取材などでお話をするのも好きですし、人前に立ってリーダーシップをとるのも得意です。逆に、ひとりでコツコツとデータを収集する作業は苦手です。例えば人から指示をもらって動くより、まずは自らの頭で考えて動いてみることを好みます。人それぞれに、いろいろな幸せの形があると思うんです。自分にとっての幸せを実現しながら、それを仕事にするためには何が必要か。そこを考えることはこれからの時代、とても大事だと思います。
もしかしたらあなたを支えるものは、医学や法律の知識かもしれませんし、プログラミングの技術かもしれません。大学に行かないで何かに熱中する選択肢もアリだと思います。どんなことでもいいので、「これをしていると幸せに感じるんだ」「これが自分の誇れるものだ」というものを探して深めることが大事です。そしてそこに優劣はないんです。受験勉強をしながらでも、頭の片隅では受験から離れたところで自分の意義を意識してみることはできるのでぜひ考えてもらいたいと思います。