グノーブル 卒業生インタビュー Part 2

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グノーブルの教育は私にとっての財産。
人生の選択肢を広げてくれた学びでした。
日本人として初の国連難民高等弁務官に就任され、その後も生涯にわたって紛争や貧困などの困難に直面する人々の支援に尽くされた緒方貞子さんが、今年10月22日に逝去されました。支援のフィールドは異なりますが、グノーブル3期生の栗原陽紀さんも、国際協力の第一線で活躍されています。大学で発展途上国について学び、海外でさらに学びを深め、日々、厳しい環境に置かれ、教育の行き届いていない子どもたちのために奔走する栗原さんは、国際協力の現場にどのようにして踏み込み、どんな働きをされているのか。そしてグノーブルは、彼女にとってどのような学び舎だったのか。お話をお聞きしました。

3期生 栗原(くりはら) 陽紀(はるき)さん
公益社団法人シャンティ国際ボランティア会 事業サポート課海外事業担当
(東洋英和女学院/国際基督教大学教養学部アーツサイエンス学科アジア研究メジャー卒業/
フィリピン大学ディリマン校社会福祉コミュニティ開発学部コミュニティ開発学修士課程修了)
アジアの貧困地域の子どもたちに教育を届ける
 シャンティ国際ボランティア会では、「教育には人生を変える力がある」をモットーに、主にアジアの途上国で教育支援活動(学校建設や図書館活動など)を行っています。
 支援地域では、複数の団体がミッションやモットーを持って活動しています。それぞれの役割は自然発生的に分担されますが、国際協力の世界では“援助コーディネーション”が大きな課題になります。つまり、同じエリアで同じような援助活動をしてしまうと、現地における公平性や活動の妥当性、効率性などに影響するので、基本的にはどの団体も入る前に事前調査を行って、自分たちができることと現地のニーズが合致するようにしています。なるべく効果のある場所へ、さらには、事業の持続性が期待できる場所で活動を行うことが国際協力事業の前提となるのです。
 国際協力の中にはいろいろなフェーズがあって、災害などが起きた直後は「緊急救援」という形で様々な団体がものすごい勢いで現地入りします。そのような時は国連などが指揮をとって、なるべく援助が被らないようにコーディネーションするシステムが出来上がっていきます。そして、災害のあとに落ち着いてくると「復興期」というフェーズに入って、通常の状態に戻していくプロセスに移行します。復興後、もしくは平時から続く貧困問題の解決に取り組む段階を「開発期」と呼び、私たちの団体では、これらの3つのフェーズすべてに対応しています。支援先は国内外を問わず、貧困地域の子どもたちのための教育支援を開発事業の一環として行っています。
国際支援を行うために避けられないお金の問題
 現在私は東京事務所で、ミャンマー事業とタイ国内にあるミャンマー(ビルマ)難民キャンプ事業に携わっており、活動を行うための民間ファンドレイジング(資金調達)や、ODA(政府開発援助)の対応窓口を担っています。現地には事業実務をしている日本人スタッフと外国人のスタッフが大勢いますが、彼らには事業を回すことに集中してもらい、私たちのほうではドナー(資金寄付者)に提出する資料の作成や、事業の内容について詳しく知りたいという支援希望の方々への説明といった広報活動と業務調整をしています。
 私はODAを担当していまして、外務省に計画書を提出して予算額を調整するのが主な仕事です。ODAは本来“計画書どおりに実行すること”を前提としますが、途上国では計画どおりにいかないことのほうが多いので、変更があったことや、事業の進捗状況の報告を行うことも大事な仕事です。
 国際協力を行う上での課題は、民間のファンドレイジングの割合が年々少なくなっていることです。なぜなら、現在は国内でも貧困問題が増えていて、日本の皆さんの目が内向きになってきているからです。以前は「途上国の貧しい人たちのために」と発信すれば、興味を持ってもらえましたが、「国内に多くの問題があるのに、それを差し置いて、海外を支援するのはいかがなものか」という声も少なからず聞こえてきます。
 私たちは非政府組織として働いているため、ODAとして政府から多くの支援をいただいて活動をしているわけですが、その割合が全部の資金のパイの中で5割を超えないように、民間支援との二本柱で活動資源を確保しています。なぜならば、ODAに頼りすぎると次第に政府の下請けのような組織になってしまい、それでは非政府組織である意味がなくなってしまうからです。
 また、その時の国の方針に影響されて、どの分野に、どのくらいの支援金を割り振るかが決まってきます。私たちは教育の分野に携わっていますが、そこに必ず資金が回ってくるかわかりませんので、政府の方針が変わったとしても私たちのミッションを達成するために、常に自分たちで資金を確保できる術を持っていないといけません。昨今のように国内に目が向いている中で、どうやって他の国の子どもたちに目を向けてもらうか。これは、私たちがいつも抱えている課題です。
“居場所づくり”という支援のあり方
 支援活動には、国内外どちらが先ということはありません。今はどの国でも格差が広がっていて、先進国、途上国の境がなくなってきています。日本でもそうですが、お金持ちはよりお金持ちになり、貧困層は貧しいままでいるという問題が起きているので、どの国でも問題の均一化が進んでいるのです。それに対して柔軟に対応していくべきだと考えています。
 ただ私たちも、すべての人を支援できるわけではないので、自分たちの強みを活かして、ニーズのある人たちのところに、私たちができるベストな方法でアプローチをしていくべきだと思っています。もちろん国内の課題にもこれまでの知見を活かしてしっかり取り組んでいきたいと思います。
 事実シャンティでは、阪神・淡路大震災の時から国内の緊急救援活動を行っています。教育とは別に物資配布などは昔から行っていて東北の震災時も出動しました。そうした活動の中で新しいニーズが見えてきて、岩手、宮城、福島では「移動図書館活動」を行うことで、地域の人たちとコミュニケーションをとり合いながら、皆さんの“居場所づくり”を行いました。
 この活動は、子どもはもちろん大人の方にもとても喜んでいただけました。現在は支援地域の復旧の目途がついたので、活動をいったん終わりにしましたが、移動図書館活動を利用された方からお手紙をいただくこともあります。移動図書館にはお茶を飲めるスペースも設けていたのですが、そこでいろいろな人とつながることができて、つらい時期を乗り越えることができたという声を多く頂戴しました。
 シャンティが目指しているのは、情報の提供や識字率の向上もありますが、“人が集う場所づくり”が活動の軸のひとつになっています。特にタイとミャンマーの国境付近の難民キャンプには、行く場所がなくてキャンプの外に出られない、でもミャンマーには戻りたくないという人たちが10万人近く、30年以上住んでいます。キャンプの中に移動図書館をつくって20年近くになりますが、住んでいる人たちから「外には出られないけれどここで本を読むことで、外の世界とつながることができる」という言葉を頂いています。
ミャンマー難民の現状と日本政府の思惑
 ミャンマー(ビルマ)難民キャンプの現状は深刻です。すでに第三国定住した家族がいる方々は、キャンプの外に出て第三国に定住することが可能です。ただ、現在は応募が締め切られていて、基本的にはキャンプに残るかミャンマーに戻るか、選択肢はふたつしかありません。そうした中で、大人世代は民族同士の紛争を経験しているので“平和合意”がなされたとはいえミャンマーには戻りたくないし、若い世代はキャンプ内で生まれ育っているのでミャンマーを自分の国だと思えません。18歳になってキャンプ内での学校を卒業しても「この先どうしたらいいかわからない」という若者がどんどん増えている状況です。
 ところが今は、世界中で難民が増えていて、国内で平和合意がなされたタイ・ミャンマー国境の難民は“忘れられた難民”と言われています。つまり、「国が平和になったのだから自分たちの国に帰ればいいだろう」というのが国際的な視点です。実際には、それほど単純な話ではないのですが、紛争地帯のシリア難民などに、まず目を向けるべきという風潮もあり、難民の中での優先順位がつけられていて、タイとミャンマーの国境付近の難民キャンプは優先順位が低くなっているのです。
 国内にも問題はあります。他国と比較すれば日本のODAの割合はかなり少ないほうで、その中でも教育分野にさかれている割合は決して多くはありません。政府としては、インフラなど日本の国際協力を形として残せる分野にODAを集めがちです。ただ本質的なところでは、教育こそがすべての根幹にあるという考え方もあるのです。私たちも他のNGOとネットワークを組んで、政府に対して教育分野の援助の裾野を広げていただきたいとお願いをしているのですが、蟻のような改善具合でなかなか難しいものがあります。

*第三国定住:すでに難民キャンプで生活するなどして難民となっている者を、別の国が受け入れる制度のこと。
国際協力(ボランティア)を仕事にする
 日本では、国際協力や社会貢献が仕事になることがあまり知られていないと思います。理由のひとつは、どこの団体も限られた資金で運営をしているため、「社会貢献を仕事にできる」ということの広報まで手が回らないことが挙げられるでしょう。
 そしてもうひとつは、もともと日本は寄付文化が定着していないので、ボランティアを仕事にしてお金をもらうという意識が欧米諸国と比べてかなり低いことです。欧米にはクリスチャンのカルチャーが根づいているので、寄付をしたり、それを元手に活動するのが当たり前のことになっています。またそれを仕事として活動していても周りの人は全く違和感を持ちません。
 社会で解決すべき課題があって、その解決に尽力する人たちがいる。そしてそれが職業として成立するのは普通のことなのです。ところが日本には、そのような活動は「時間がある人が無償でするもの」という意識の方が少なからずいます。この問題については、私たち自身も多少のリソースをさいてでも、少しずつ皆さんに理解してもらうような広報活動が必要だと思います。そうでなければ、私たちの活動自体も持続性がなくなってしまいます。
 もし皆さんが国際協力を仕事にしようと思うなら、英語力は必須です。もちろん国際協力の専門知識があったほうがベストですが、ただやはり、まずは言葉です。私たちの仕事は、現地のスタッフや政府の人との調整が多いのですが、日本側でのやりとりは、日本語と英語が半々くらいになります。また、自分で資料を作ったり、必要文献を読む時にも日本語しかできないと、探せる文献なども圧倒的に限られてしまうので、この業界で働こうと思うのであれば英語力は基本的な条件になります。
 あとは、何かひとつ専門性を極めることがとても大事です。医療やエンジニアリング、社会学を勉強するのもいいかもしれません。ひとつでも極めたスキルや専門知識があると、それを活かし人を助けることができます。私はもともと教育に興味があったので、そこを幅広く学び、現在は教育援助のセクターにいますが、医療、環境、ITなど、どの分野であっても貢献できることは絶対にあります。
大学でそして国際社会で活きたグノーブルの英語
 私がこうした活動に興味を持ったきっかけは、地理の授業でアフリカの子どもがカカオを取っている映像を見た時のことです。その映像を見ていて、私はこんなに恵まれた環境で学校に通わせてもらっているのに、世の中には勉強できない人たちがいるということに衝撃を受けたんです。ならば、自分が学んだことを、こうした人たちのために使えないかと思い、国際協力について勉強できる大学を探しました。その中で国際基督教大学(以下、ICU)のパンフレットに「途上国開発研究」という文字を見つけたんです。
 ICUには私と同じように国際協力に興味を持っている人たちがたくさんいました。留学生や帰国子女の割合もかなり多いです。ICUでは1年生から2年生の半ばにかけて、英語での集中プログラムがあります。英語を使ってアカデミックなライティング、スピーキング、リーディング、リスニングを集中トレーニングするわけですが、そこで必要とされるのは、客観的に物事を判断するクリティカルシンキングの力です。英語を勉強しながら同時にその力も鍛えていきます。
 ここでグノーブルで勉強していたことがとても役に立ちました。ICUのリーディングの授業でパラグラフごとに大事なところに線を引いて読むよう教わりましたが、私はそれをグノーブルですでに習っていましたし、クリティカルシンキングの客観的な視点を持つというのも、グノーブルで学んだメタ認知にすごく似ていると思いました。また、英語の文章自体から学びがあるあたりも、ICUの英語はグノーブルの英語にとても近いと感じていました。
 ですから、意識していたわけではなく、グノーブルの学びとICUでの学びがかなりリンクしていたので自然につながったという感じです。だからこそ、グノーブルで学んだことを基礎にしてICUでの学びがさらに深まりました。英語は積み重ねですのでグノーブルで学んだことを応用しようとしたわけではなくて、自然な流れだったと思います。逆にグノーブルで英語を学んでいなかったらまた違っていたでしょうね。もちろん学びはあったと思いますが、今、振り返って考えてみると、グノーブルの英語は受験を一歩超えていて、国際社会に対応できる英語の土台を築いてくれたと思います。
開発学の知見を深めに、イギリスへ、フィリピンへ
 ICUで国際協力を学ぶうちに、世界の人と同じレベルで開発学を勉強したいという気持ちが強くなりました。特にイギリスは植民地で開発事業を始めたという歴史的背景があり、開発学の先駆けでもあります。そこで、ICUで専攻していたアジア研究課程のあるリーズ大学に留学しました。
 リーズ大学での勉強は本当に大変でした。特にリーディングの量が半端ではありません。読んでも、読んでも終わらないので図書館にこもる日々が続きました。そんな時は、よく中山先生の声がよみがえってきたものです(笑)。
 グノーブルの授業では、誰もが引っかかるセンテンスが毎週ひとつかふたつ用意されていて、指名された人が答えられないと中山先生が英文を前から一緒に読んでくれました。私はそれを真剣に聞いていたので、当時はひとりで音読し始めると先生の声がよみがえってくるようになっていました。その声が、リーズ大学に留学していた時にも聞こえてきたのです。リーディングの課題に追われて、焦ってしまって、「落ち着け私!」と思っていると、突然、中山先生の声が聞こえてきて導いてくれたんです(笑)。
 イギリス留学から戻り、ICUでの学びも終えて一応は就職活動もしました。でも、やっぱり大学院に行ってもっと学びを深めなければと思いました。国際協力では、修士号以上が求められるからです。ICUでお世話になった先生にも、もし国際協力の分野で活躍したいと決めているなら、大学院に行ったほうがそのあとのキャリア形成に有利だよと言われました。一般の企業に入って日本の中で生きていくなら、大企業に入ることも価値のひとつではあるけれど、国際協力で生きていくなら、企業の名前ではなく、あなたが何をしてきたかが見られるから、やりたいことと直結している道を選んだほうが良いとのアドバイスをいただいて、大学院に進学しようと心が決まったんです。そこで、コミュニティ開発学部があり、現場とアカデミックがセットのカリキュラム形成になっているフィリピン大学を選び再度留学、そして今の仕事に至りました。
自分がいかに恵まれているかを客観視する
 私たちの団体は「教育はすべての人が与えられる機会」という信念を持って活動をしています。もちろん途上国の人とコンテクストは違うのですが、グノーブルで与えていただいた教育も、私にとっての財産であり、中高からその先の人生の選択肢を広げてくれた学びだったと思います。
 私自身の経験から言うと、自分の中では漠然とやりたいことが決まっていましたが、成長途中だった学力面もメンタル面も、グノーブルは学校の先生と同じように、ある時にはそれ以上に支えてくださったと記憶しています。ですから「皆さんも自信を持ってください!」と声を大にして言いたいです。グノーブルの勉強に一生懸命に取り組むことは、将来、本当に素晴らしい糧になりますし、多くの機会にもつながるはずです。大学に進学しても、ここで学んだことを活かして前に進んでいってほしいと思います。
 もう少し広い視点で、今グノーブルで勉強している中高生の皆さんにアドバイスをするなら、社会が抱える様々な課題に興味を持ち続けることはもちろん大事ですが、せっかくグノーブルに通って、物事を客観視する大切さを教えてもらっているわけですから、その視点で、今自分が置かれている環境をじっくり観察して、いかに恵まれているのかを実感してほしいと思います。そして今の環境に感謝しつつ、周りの人とあまり比較せずに、自分の好きなことを、とことんやるのが良いと思います。それは何であってもかまいません。思いっきり勉強したり、部活に打ち込んだり、何でもいいので好きなことをとことん追求してください。その経験は、将来必ず役立つ時が来るはずです。


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